著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム - thinkcopyright.org


保護期間「延長派」「慎重派」それぞれのワケ

「創造のサイクル」をめぐって

延長賛成の理由として
挙げられる点
延長に慎重な理由として
挙げられる点

保護延長が、創作者にとって新たな創造の意欲を高める。目先の金銭よりも、「長く評価される作品を作りたい」という思いが、偉大な創作につながる。

すでに死後50年後まで守られているものをさらに延ばしても、創造の意欲は高まらない。生前の助成・振興こそ充実させるべきだ。作品を長く残したいなら、流通を害するのは逆効果のはずだ。

作家は創作のため心血を注ぎ、自分のため、家族のために頑張るもの。作家が全生命をかけた作品の保護期間が短くていいはずはない。70年ですら短い。作品に込められた創作者の思いは永遠に尊重されるべきだ。

家族を守りたいと思い、懸命に生きているのは誰でも同じ。なぜ作家の遺族だけが不労所得を得るのか。また、なぜ遺族は権利収入がないと生活できないようなイメージで語られるのか。

作家への敬愛の念にふさわしい適正な保護期間を与えるべき。若死にする作家の例もあり、死後50年だと妻子がまだ生きている例が少なくない。たとえそれがレアケースでも、最も気の毒な個人の権利を守るべき。

保護延長で利益を得るのは、主に著作者の孫・ひ孫やごく一部の団体。それらへの支払と作品への敬意を結びつけるのはおかしい。一部の遺族の利得と比べて、社会全体のデメリットがあまりに多い。

著作権は創作性を保護するものであり、模倣や真似を保護するものではない。また、アイディアや手法を学んだ上で自分の作品を創作するのは自由。「著作権の過剰な保護が新たな創造を阻害する」というのは、芸術に対する無理解などゆえ。

古い作品は新しい創造の源泉だ。映画、文学、音楽、現代美術、落語など、古典の翻案・脚色から傑作が生まれた例は数知れない。つまり誰もが著作者であると共に利用者なのだから、延長をくり返して独占が長期化すれば創造が害される。ひいては日本の国際競争力も低下する。

「創造のサイクル」は古典の話であって、近現代の作品の改変やパロディは、作品への侮辱だ。

死後50年から70年の作品は古典ではないのか。例えば、黒澤明がドストエフスキーや芥川作品を映画化したのは、原作への侮辱か。

「世界標準」をめぐって

延長賛成の理由として
挙げられる点
延長に慎重な理由として
挙げられる点

世界標準は「著作者の死後70年」で、先進諸国で日本だけ短いのはアンフェアだ。相手国が大事にする文化資産に敬意を払うために、欧米諸国並に延長すべき。

死後70年に延ばしたのはベルヌ条約加盟国の3分の1のみ。アメリカ自身が、(古い作品は公表時起算なので)本当の死後70年国ではない。また、イギリスでの隣接権延長断念に見られるように、もはや期間長期化は世界潮流ではない。

先進国として、欧米よりも権利期間が短いことは恥ずかしい。日本は野蛮な国だと思われてしまう。真の知財立国を実現するためにも、欧米諸国並に延長すべき。

欧米は古い作品の「輸出額」が多いから期間を延ばしたいだけ。過去も延長の連続だった。今従えば、このまま延長をくり返すスパイラルに入る可能性は高く、日本や世界全体の利益にならない。

国際的な調和をはからないと、コンテンツの国際的な流通が害される。

そもそも調和を乱したのは欧米。しかも、欧米の間ですら現に期間は不統一だが、それでどれほど流通が害されているというのか。

平均寿命が延びたのだから、孫が生きている死後70年くらいは守るべきだ。

平均寿命が延びて「生前」の保護は延びているのだから、今のままで十分だ。なぜ「孫が死ぬまで」でなければならないのか?

アメリカが言う以上、結局日本は受け入れるほかないのでは?どうせ70年になるのではないか。

条約上、延ばす義務はないのだから、日本が主体的に判断すればいいこと。延長に踏み切るには、データやシミュレーションがまったく足りない。

利用の促進をめぐって

延長賛成の理由として
挙げられる点
延長に慎重な理由として
挙げられる点

権利期間が延びると全集が出る可能性が高まる。期間が切れても、文庫の値段が下がる訳ではない。ユーザーにメリットがない。

産業活動はもちろん、「青空文庫」など古い作品のアーカイブ化・紹介活動やオーケストラなどの文化活動が害されて、大多数の作品はかえって死蔵される。また、視聴覚障害者向けや教育研究目的での利用も制約される。それは作品にとっても、経済・社会にとっても大きな損失だ。

遺族も多くの人に読んでもらいたいという思いを持っているはずだから、許諾をとれば「青空文庫」などのネット公開は可能ではないか。

死後50年も立つと相続人も多く、法律上はその全員の同意がないと利用できない。そのため現実には利用の許諾をとるのは困難。

利用の許諾がとりにくい点は、一括の許諾システムやデータベースの整備に取り組む。あるいは、(許諾は必要ないが使用料を支払う)報酬請求権化で対処できる問題だ。

海外作品も含めた「一括の許諾システム」や「報酬請求権化」は、現実に過去ほとんど実現しなかった。漠然とした目標と引き換えに期間延長するのはおかしい。

国際収支・戦時加算をめぐって

延長賛成の理由として
挙げられる点
延長に慎重な理由として
挙げられる点

「相互主義」というルールにより、日本が「死後50年」だと欧米でも日本作品は死後50年しか守られない。漫画やアニメは重要な輸出品目で外貨を稼いでいる。よって、権利期間が短いと多大な損失をもたらす。

アメリカは「相互主義」はとっていないので、アメリカで日本作品が不利に扱われるというのは間違い。また、古い作品では日本は「輸入超過」。漫画やゲームの保護期間が切れるのはずっと先なので、慌てて追随しても経済的損失が大きい。

(国全体では輸入超過だといっても)著作権は私権なので、国家の利益のために個人の権利が剥奪されてはならない。

更に20年という権利を与えるべきかを論じているのであって、「権利の剥奪」の話ではない。

早く延ばさないと権利が切れる遺族が出て来る。一度切れたら権利は復活しないので、急ぐべき。

期間は一度延ばすと短縮はほぼ無理なので、拙速な延長は将来の社会に対して無責任。

権利期間を世界標準の死後70年に延ばした上で、旧連合国から一方的に押し付けられている「戦時加算」の解消をはかるべき。

「戦時加算」はサンフランシスコ講和条約上の義務で一方的に解消などできない。欧米作品は「死後70年プラス戦時加算」となって、不公平が温存される。

(最終改訂2006年12月31日。ただし、12/11シンポジウム当日までの主な意見から紹介したもので、今後も議論を取り入れて更新して行く予定です)


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