著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム - thinkcopyright.org


転載記事

【論点】「著作権の保護期間延長」を問う
「知財立国」とは逆方向

媒体:毎日新聞2006年9月23日朝刊
著者:津田大介(IT・音楽ジャーナリスト)
つだ・だいすけ
1973年生まれ。早大卒。06年から文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会専門委員。著書に「だれが『音楽』を殺すのか?」など。

著作者のインセンティブにはならない
死蔵作品が増えて創作サイクルつぶす

 音楽家や作家などの「著作権者」で構成される団体が欧米の保護期間が70年であることや、著作者の創作インセンティブ(意欲)を高めるといった理由で保護期間の延長を求めている。しかし、この問題の本質は著作者や作品の保護というよりも、著作者が創り出した作品の権利を預かってビジネスを行っている「著作権者」の権利保護にあるということをまず踏まえておきたい。

 そもそも現状の著作権法で作品の著作権は著作者の死後50年間保護される。これが70年に延長されたところで、直接的なメリットを得られるのは著作者の子孫か、古い作品の権利で収入を得ている団体もしくは企業だ。著作者本人が直接利益を得られない状況で「保護期間が延長が創作のインセンティブになる」と主張されても説得力に欠ける。筆者も著作権でメシを食っている著作者の端くれだが、死後50年が70年に延長されたところで、まったくそれをありがたいとは思えない。

 保護期間延長によって、いわゆる「死蔵作品」が増加するという事実も重要だ。文学であれ、音楽であれ、一部の人気作品を除いて作品の寿命というのはあまり長くない。50年後も経済価値を維持できる作品は全体からみてわずか2%であるという指摘もある。公表後、年数を経過したほとんどの作品は市場で商品価値を失い、絶版になり消えていく。その一方「市場での商品価値=その作品の価値」でないというのもまた事実。埋もれていた作品が死後、後世の研究者などにより発掘され、評価が高まったというケースはいくらでもある。

 著作権が切れていれば、それらを利用して作品の上映や出版などを自由に行えるようになるし、クリエイターが著作権の切れた作品をベースに翻案を行い、より素晴らしい作品が産み出されるということも起きる。50年が70年に延長されれば、そうした多くの創作機会が失われてしまうのだ。古来、創作活動は古い作品を下地にして後の人間が新しい作品を産み出すというサイクルで成り立ってきた。この創造サイクルをわずか2%の既得権益を守るために潰してしまうことが、果たして「文化的」に豊かな状況をもたらすのだろうか。

 著作権者団体は、欧米の保護期間を例にとって「日本も国際水準に合わせるべきだ」と主張するが、これもナンセンスな話。欧米が保護期間にこだわるのは、彼らの国のエンタテインメント産業が「輸出産業」として大きな利益を産み出している現状があることを忘れてはならない。欧米は保護期間を延長し続け、日本にも同調路線を求める一方で、日本発の著作物には不当に一方的な契約を押しつけ、著作権料を吸い上げている。海外で日本発のコンテンツがヒットしても、肝心の日本人クリエイターはほとんど潤わない。こうした歪んだ状況が改善されない限り「知財立国」を標ぼうしたところで絵に描いた餅で終ってしまうだろう。安易にグローバルスタンダードに乗る前に、考えるべきことがあるはずだ。

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