著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム - thinkcopyright.org


転載記事

【論点】「著作権の保護期間延長」を問う
世界標準に合わそう

媒体:毎日新聞2006年9月23日朝刊
著者:三田誠広(作家)
みた・まさひろ
1948年生まれ。早大卒。77年、「僕って何」で芥川賞。他に「帰郷」「日常」「永遠の放課後」など。今春から日本文芸家協会副理事長。

期間50年据え置きは20年分の権利剥奪
著作権こそ芸術生み出すパワーの源泉

 著作権は作家の死後も保護される。ベルヌ条約では五十年となっており、日本でもこれを採用しているが、欧米先進国を始め、多くの国ではすでに七十年になっていて、いまや七十年が世界標準といっていい。先進諸国の中で、日本だけが五十年にしていることで、困った事態が生じている。それぞれの国ではまだ保護されている作品が、日本では著作権フリーになって、無許諾無償で出版されることになる。もちろん、芸術作品は人類全体の共有財産であるから、一定期間を経過すればフリーにすべきだという考え方からすれば、保護期間は短い方がよいということになるのだが、先進諸国の中で日本だけ短いのは、アンフェアだというしかない。

 そもそも著作権の保護期間はなんのためにあるのか。作家は物を売るのではなく、作品の複製を利用者に買っていただいて生活している。ところが作品の発表から、その作品が評価され、複製が社会に広がっていくためには、時間が必要である。作家の生前にはまったく評価されなかった例もある。作品を評価されることもなく貧困の中であえぐ作家を支えるのは家族である。時として作家は、家族に夢を語ることもあるだろう。自分の作品は死後、必ず評価される…。これはただの夢にすぎない場合もある。だがこの夢が作家を支え、偉大な芸術作品を産み出すパワーとなる場合もある。だからこそ著作権は作家の死後も保護されなければならないのだ。

 日本における五十年のという保護期間は短すぎる。なぜなら、作家の妻が生きているのに保護期間が切れてしまう例が少なくない。子供の場合はなおさらである。世界標準が七十年であるのに、特別の理由もなく日本の保護期間が五十年のままに据え置かれているのは、二十年ぶんの権利の剥奪だとわたしは考える。

 著作権の保護期間を延長しても、読者に大きな影響が出るわけではない。保護期間が切れたからといって文庫本の値段が下がるわけではない。保護期間の切れた作品をネット上に公開するボランティアの方々のご努力は、わたしも承知している。すでに書籍として流通していない作品を世に残すためには欠かせない試みである。しかしご遺族のご理解が得られれば、保護期間内の作品をネット上に公開することは可能である。簡易に許諾をとるシステムを作れば対応できる問題である。

 有償のコンテンツを販売するネット業者にとっては、著作権の切れた作品は、おいしいコンテンツであることは間違いない。著作権料の支払いの負担よりも、許諾を求めることに手間と費用がかかるからだ。これに対しても、簡易に許諾がとれるシステムや、許諾権を制限して報酬請求権だけを残すといった対応をすれば問題はなくなる。

 自分の作品が死後に評価される期待は、プロの作家だけのものではない。誰もが創作者になれるネット時代のいまだからこそ、未来に夢をもてる保護期間の延長は、重要な課題なのだ。

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